通勤や買い物など、日々の足となる鉄道。
首都圏をはじめ全国各地で使われているステンレスの通勤車両は、ちょうど60年前の12月、横浜の会社で生まれ、走り出した。
作ったのは東急車輛(しゃりょう)製造(現・総合車両製作所)。
ステンレス車両の新技術を牽引(けんいん)した。その技と心意気は今も受け継がれている。
鉄道車両メーカー「総合車両製作所」(横浜市金沢区)には鉄道車両1両が保存されている。
「東急電鉄デハ5201号車」。
前身・東急車輛製造が1958年、日本初のステンレス製通勤車両として製造。
同年12月1日に走り出した。
以来、両社を通じ、1万4千両を超える車両を送り出してきた。
同社は、戦争で被災した鉄道車両の修理などを目的に46年、東急電鉄の横浜製作所として「第一海軍技術廠(しょう)支廠」跡地に設立された。
しかし、草創期に直面したのは受注難。
鉄道車両の市場は戦前からの名門が占め、「後発」メーカーが生き残るためには、新技術の開発が必須だった。
1956年、当時の吉次利二社長はブラジルでステンレス製の鉄道車両を目にした。
当時、国内で使われたのは外板塗装が必要な鋼製が主流。
ステンレスはさびにくく、塗装が不要でメンテナンスが簡略化できる。
一方、曲げると割れやすく、溶接時にひずみが出やすいため、高い溶接技術を要した。
社運を賭けるにふさわしい「未来の車両」だった。
それから2年で、ステンレスのデハ5201号車を製造。
さらに技術者を米国に派遣し、少ない熱量で細かく溶接する「スポット溶接」を中心とした車両製造技術のマニュアルを学んだ。
この技術を元に1960年、骨組みまでステンレス製の車両が生まれた。
このマニュアルは国内のステンレス製車両製造の基礎になった。
朝日新聞より