かつて関西最大級の金鉱山があった兵庫県養父市中瀬で、江戸時代のものとみられる精錬用の鉱山臼を、住民たちが漬物石として活用している。
円形の断面にあるくぼみや穴が特徴的で、集落内に現存する例は全国的にも珍しいという。
ただ、昔から慣れ親しむ住民にとってはただの石にしか見えないようだ。
同市中瀬に暮らす太田垣保春さん(74)は、自宅の大型バケツでたくあんを漬けている。
ぬかに木板を載せ、市販の重しで圧する。
さらにその上に、真ん中のくぼんだ石を置く。かつて中瀬で金の精錬に使われた石臼だ。
中瀬金山は16世紀後期に開かれ、天下統一した豊臣秀吉や江戸幕府の直轄地として栄えたが、採掘量が減少し、1969年に閉山した。
鉱石に交じる自然金の塊が大きく、数キログラム単位で採れることもあったという。
中瀬に残る石臼は形状から江戸時代前期のものとみられる。
下臼の上で上臼を回転させ、鉱石をすりつぶす。
泥状になった鉱石を流水にさらすと、比重の重い金だけを取り出せる仕組み。
くぼみは上臼の回転軸の受け口という。
太田垣さんの漬物石は重さ30キロ近くで、下臼とみられる。
鉱山専門の博物館「甲斐黄金村・湯之奥金山博物館」(山梨県)学芸員、小松美鈴さんによると、臼を再利用する習慣は江戸時代からあったが、現在も住民が使っている例はまれという。
鉱山が山奥にあったり、鉱山近くの集落が廃村になったりしているためで、小松さんは「石臼は町の歴史を伝える貴重な財産」と話す。
地元住民の受け止めは対照的だ。
太田垣さんは「祖母も母親も漬物石に使っていた。この石のどこが珍しいのか」と首をかしげる。
中野博子さん(60)は「庭で踏み石にしている。私にとってはただの石なんだけど」と苦笑する。
地区では民家の石垣にも石臼が交じる。
小松さんは「臼を散逸させないことが大切。価値のあるものなので、愛着を持って残していってほしい」と訴えている。
【那谷享平】
神戸新聞より