きょう6日、72回目の「原爆の日」を迎える広島。
平和への祈りが宿った折り鶴は国内外から途絶えることなく寄せられ、その数は年間約1千万羽(約10トン)にも上る。
広島市はすべてを市内の遊休施設で保管しており、2012年度には再生事業もスタート。
色とりどりの折り鶴は、平和を願う絵はがき、扇などに姿を変え、記憶の伝承を静かに支えている。
広島市中区、平和記念公園の「原爆の子の像」。
その前には、千羽鶴を飾るブースが九つある。
先月下旬に訪ねた際、豊岡市立中筋小、宝塚市立山手台小、明石市立魚住小、西宮市立甲東小など、兵庫県内の学校から寄せられたものもたくさん目に付いた。
広島市平和推進課によると、修学旅行生が持参するケースが圧倒的に多いが、最近は広島で折り方を教わり、1羽や2羽をささげていく外国人旅行者も目立つという。
同市はかつて、これらの折り鶴を一定期間展示した後で順次回収・焼却していたが、2002年度から方針を転換。
市所有の施設で全量保管するようになり、「原爆の子の像」前の各ブースにも雨風を防ぐカバーを設置した。
保管量は増え続け、ピーク時には計97.4トンに。
一方、2012年度から「昇華」と名付けて折り鶴の再生事業を開始。
古いものから市が許可した企業や団体に譲るようになり、毎年、持ち込み量を上回るペースで再生されている。
同課は「折り鶴が形を変えて別の人の手に渡ることで、平和への思いがつながっていけば」と狙いを説明する。
現在、JR広島駅のコンコースで壁一面に展示されている色鮮やかな扇「FANO(ファーノ)」は、折り鶴の再生紙を利用してデザインされた商品。
広島市内の卒園・卒業証書も、昨年度から折り鶴の再生紙で作られるようになった。
市内約30の福祉作業所も連携してリサイクルに取り組む。
千羽鶴の留め金や糸を外して1枚ずつ紙を広げ、色などで分類。
製紙工場で紫や青、黄など元の色のかけらをちりばめたような再生紙に生まれ変わる。
障害者たちの制作したコースターや缶バッジ、しおりなどは、平和記念公園周辺のショップや一般社団法人「千羽鶴未来プロジェクト」のホームページで販売され、外国人観光客にも人気だ。
広島平和記念資料館は、この再生紙でできた絵はがきを1枚ずつ来館者に配布。
6日夜に原爆ドーム周辺である灯籠流しでも使われるという。
―広島と折り鶴―
2歳の時に広島で被爆し、10年後に白血病と診断された佐々木禎子さん(享年12)が、健康の回復を願って薬の包み紙などで鶴を折り続けた。
佐々木さんの死から2年半後の1958年5月、同級生らの呼びかけで鶴を掲げ持つ少女のブロンズ像「原爆の子の像」が完成。
平和を願い、国内外から多くの折り鶴が広島に寄せられるようになった。
2016年5月、米国のオバマ前大統領が自ら折った鶴4羽を広島市に寄贈。
現在、広島平和記念資料館で2羽を公開し、別の1羽は今年6月からハンガリーやモンテネグロの原爆展で展示されている。
【長谷部崇】
神戸新聞より