東日本大震災の津波で多数の犠牲者を出した大惨事を教訓に、津波からの効果的な避難法を示した「逃げ地図」に注目が集まっている。
ひとりのボランティアが手作りで作り始めたが、今では作り方がマニュアル化され、地域の防災運動として広がり始めた。
「家族が次の津波にやられたら、死んでも死にきれない」。
震災直後、三陸沿岸にある取引先を訪ねた日建設計(東京・千代田)の羽鳥達也設計部長は、勤めている男性から、そんな悲痛な声を聞いた。
「自分に何ができるかを考えた」羽鳥さんが、思いついたのが避難のための地図を作ることだった。
建物の設計では、屋内で発生した火災の煙が階下に広がるまでに居室からの避難を完了するシミュレーション(模擬実験)が重視される。
中にいる人の生死を分けるのは、経路や所要時間を知っているかどうかだ。
羽鳥氏は津波からの避難も同じだと気づいた。
そこで
高台の避難地がどこにあるか、
そこにいたる経路はどこにあるか、
さらに避難にはどのくらいの時間がかかるかを、
一目で分かるように1枚の地図の上にまとめることにした。
これが逃げ地図だ。
つまりは避難地図だが、より印象に残る、わかりやすい名前をつけた。
まず縮尺が2,500分の1程度の地図を用意して経路を確かめた。
もっとも歩みが遅い70歳代後半の高齢者が上り坂を行く速さは、1分間に43メートルとのデータがある。
これに基づいて、避難場所までの所要時間を8段階に色分けした。
役所が作った地域のハザードマップを参照し、崖崩れしやすい場所などは避けて経路を考えた。
逃げ地図は、2012年度のグッドデザイン賞を受賞した。
地図の作製は会社の業務ではなく、あくまでボランティア。
逃げ地図を広めようと、岩手県の大船渡市と陸前高田市、宮城県の気仙沼市と南三陸町などでワークショップも開催した。
2014年度から科学技術振興機構(JST)の研究プロジェクト「コミュニティがつなぐ安全・安心な都市・地域の創造」の課題として採択され、世代間や地域間の連携を促すという目的が加わった。
代表者の千葉大学の木下勇教授(地域計画学)は、逃げ地図づくりは「子供からお年寄りまでコミュニケーションを深めるのに役立つ」とみる。
プロジェクトでは、学校地域で、誰もが自ら逃げ地図を作れるマニュアルを開発。
またワークショップの記録をネット上で共有する。
羽鳥氏は「地図づくりがゴールではない。よりよい防災を考え続けることが重要」と強調する。
多くの人に関心を持ってもらうため、スマートフォンのアプリで作製することも検討している。
明治大学の山本俊哉教授(都市計画学)は「防災を強調しすぎると活動は長続きしない。ゲーム感覚で楽しめる要素も盛り込みたい」と語る。
これまで手作業で作っていたが、より高度化したデジタル版も試作した。
国土地理院の地図をもとに避難場所を標高別に選び、自動的に色分けする。
行政関係者らの利用を想定して、避難経路となる近道を新たに作る、緊急避難用のタワーを建設するといった施策も反映できるようにした。
事業費の見積額も出せる。
例えば気仙沼では近道を増やすほうが、大がかりなバイパス道路を整備するよりはるかに効果的なことを示した。
今のところ「具体的な公共事業にはつながっていない」(羽鳥氏)が、使い方次第ではさらに大きな可能性を秘めている。
【池辺豊】
日経産業新聞より