2011年04月28日
エルトゥール号の悲劇【後篇】
さて、昨日の続きエルトゥール号の
悲劇【前篇】の続きをお届けしたい
と思います。
昨日の話でも十分にいい話ですよね~!
日本人の助け合いの文化、素晴らし
さが伝わってきます。
でもこの話には続きがあるのです。
では早速!
エルトゥール号の悲劇【後篇】です。
エルトゥール号の沈没から時は経ち
約100年後…。
1980~1988年(イラン・イラク戦争)
が激化、長期化する戦争に終止符を
打つ為に【サダム・フセイン】は総
攻撃の体制に入ったのです。
昭和60(1985)年3月18日朝日新聞
朝刊に『イラン上空 飛行すれば攻
撃!イラクが民間機に警告』という
見出しがでたそうです。
期限はその2日後!日本時間の3月
20日午後2時。
これは大変な事になったと各国は飛
行機を飛ばし自国民救助に向かった
のでした。
しかし、日本では…。 憲法9条の
問題もあり自衛隊の派遣について反
発も強く、更に日本航空側にお願い
しても安全が保障されないとして、
調整が難航・・・。【サダムフセイ
ン】が決めた期限まで残り2時間ま
で迫ってしまいました。
その時、トルキッシュエアラインと
言う航空会社の飛行機が降り立ち在
留日本人215名を載せ、タイムリミ
ットぎりぎりで、無事飛び立ったの
です。
それはトルコの民間機でした。
窮地に追い込まれた日本政府は日本
大使館を通じトルコ大使館に事情を
説明。
トルコ大使はこう答えるのでした。
『わかりました。ただちに本国に求
め、救援機を派遣させましょう。
トルコ人ならだれもが、エルトゥール
号の遭難の際に受けた恩義を知っています。
ご恩返しをさせていただきましょうと』
そうなのです。エルトゥール号の事は
トルコ国民は皆知っていて、日本人に
対して凄く感謝していて、恩返しをし
たいと二つ返事で救ってくれたのです。
こう言う事を【善循環】と言うのでし
ょう~。
100年の歳月と言う事は当時の生存者は
いらっしゃらないと思います。
でもしっかりと後世校生に伝わり、そ
の子孫の皆様が恩返しをしてくれた。
良い話です。。。
自分がした事に関して直ぐに見返りは
ないと思います。しかし、良い事は確
実に循環するものだと思います。
でも怖いのは逆もあり悪い事をすれば
直ぐにその報いを受けるとは限りませ
ん。
自分は良くともその子孫が大変な目に
遭うかも知れないのです。
【因縁因果】とか【因果応報】という
言葉もあります。
しっかりとそういう事を考えた生き方
をしたいものですね~!