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2011年04月27日

エルトゥール号の悲劇【前篇】

それは1890年(明治23年)9月16日に起

こった。

トルコ皇帝ハミル2世が日本に派遣して

いた【エルトゥール号】が、帰国する際

に『台風の時期を避けて帰国した方が良

いのでは?』という日本側の制止を押し

切って船を出港させた直後に暴風雨に見

舞われ、和歌山県の沖合で岩礁に衝突し

遭難するという事故発生してしまいまし

た。

この事故は587名が死亡・行方不明となる

大惨事となってしまいました。

幸いにも死を免れた69名は、地元民(大

島村)の手厚い看護によって次第に元気

を取り戻した。

手厚い看護と一言で言っても人肌で温め

たり、台風時期にあたっていた為、食料

が少ない中で、非常用として大切に保管

していた自分たちの食料までもトルコ人

の為に差出して懸命に看護したのです。

さらに遭難者の遺体を海から引き上げ丁

重に葬った。
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この話が、和歌山県知事を通じて明治天

皇に伝えられ、遭難者たちは明治天皇の

命により軍艦2隻〔比叡と金剛〕でトル

コに無事に送り届けられました。

その後も遭難者に対して政府をあげて支

援を行ったのです。

実はエルトゥール号遭難の4年前明治19

年(1886)年には同じ紀州沖でイギリス

の貨物船〔ノルマントン号〕が難破し沈

みかかる船を放置して、ドレイク船長以

下外国人船員がボートで全員脱出、乗り

合わせていた日本人乗客25名が見殺し

になったという事件が起きていて、日本

人を見殺しにしたとして訴えたが不平等

条約によって、イギリス人船長他船員全

員が無罪となった。しかし、日本国民の

猛反発を受けた日本政府の講義によって

再審理が行われ、船長のみに禁錮3ヶ月の

刑が言い渡された。

直接関係ないにしても、その事実を知り

ながらも外国人を助けた日本人が称賛さ

れたそうです。
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このことは東日本大震災で、自分が大変

な立場に置かれながら、他人を優先する

数々のエピソードに相通じるものがあり

ますね。

こう言うエピソードからも自分も日本人

で良かったなぁ~と誇りに思います。

ご先祖の血が脈々と受け継がれていて、

後世にそれを伝えるのが今を生きる私達

の使命・役目ではないでしょうか?

タイトルにはエルトゥール号【前篇】と

あります。

実はこの話には続きがあるのです。

是非続きもご覧下さいね!~