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2013年09月29日
伊勢神宮遷宮 旧社殿古材
20年に1度、社殿を一新する式年遷宮「遷御(せんぎょ)の儀」」が10月に行われる伊勢神宮(三重県伊勢市)。
これまでの遷宮で、解体された旧社殿の柱などの行方はあまり知られていないが、全国の神社に譲渡され、建物の修復などに使われている。
前回(平成5年10月)の遷宮では、その3カ月前に発生した北海道南西沖地震で焼失した奥尻島の神社に旧社殿ごと移築。
7年の阪神大震災後も内宮正殿(ないくうでん)を支えた柱が被災した神戸市の生田(いくた)神社へ鳥居として移されるなど、「お伊勢さん」の古材は大切に受け継がれている。
「由緒ある伊勢神宮の御用材をいただき、神戸復興の大きな力になった」。
生田神社の加藤隆久宮司(79)が振り返る。
同神社は7年1月17日の阪神大震災で、拝殿の屋根が建物を押しつぶすように倒壊。
大正6年に建てられた石の鳥居も根元から倒れた。
この鳥居は、昭和20年6月5日の神戸大空襲で、本殿や拝殿などが焼失しても無事だっただけに、震災での倒壊は衝撃だった。
加藤さんは「地元の人たちから『石の大鳥居』と親しまれていたので、とてもショックでした」と話す。
平成5年の式年遷宮から2年たっていたが、神社関係者の集まりなどで被害状況を説明し、報道などでも大きく取り上げられ、伊勢神宮側から古材の提供がも ちかけられた。
生田神社は、伊勢神宮が祭る天照(あまてらす)大神(おおみかみ)の妹・稚日女尊(わかひるめのみこと)が祭神で関係も深く、「ご神縁が あって」古材を譲り受けることになった。
この古材はもともと、昭和4年の式年遷宮で内宮正殿の棟持(むなもち)柱(ばしら)として使われたが、同28年の遷宮後に伊勢神宮の宇治橋の鳥居に転用。
さらに同48年の遷宮で伊勢への入り口にあたる「鈴鹿の関」(三重県亀山市)の鳥居として使われていた。
さっそく鈴鹿の関から移され、強化処置が施された後、震災わずか半年後の平成7年7月、生田神社の正面に建てられた。
「復興のシンボルとして地域の人たちも喜んでくれました」と加藤さん。
今も「お伊勢さんの柱」として参拝者から崇(あが)められている。
一方、北海道・奥尻島の青苗言代主(あおなえことしろぬし)神社は、平年5年7月12日の北海道南西沖地震による津波と火災で社殿が失われた。
この年に行われた式年遷宮後、伊勢神宮内宮の別宮、月讀宮(つきよみのみや)の社殿がそのまま譲渡され、7年10月に移築が完了。
盛大に遷座祭が行われた。
今回の式年遷宮後の古材の譲渡先はまだ決まっていないが、東日本大震災の被災地では、遷宮とは別に、すでに伊勢神宮が復興に大きな役割を果たしている。
神社本庁・震災対策室によると、震災により全半壊や津波で流された東北などの神社は500社以上。
伊勢神宮内にある広大な森の間伐材を使って社殿の再建が進められ、宮城県などで約10社が完成したという。
「伊勢神宮の香りがする」。
よみがえった社殿の前で被災者が感激した様子で話すなど、伊勢神宮からの善意は、復興への精神的な支えとなっている。
産経新聞より
投稿者 trim : 2013年09月29日 14:25