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2013年08月06日

「江戸っ子1号」

東京・下町の町工場が力を合わせ、8,000メートルの深海を探査する無人海底探査機を開発した。

名付けて「江戸っ子1号」。
9月から本格的な試験に挑む。

円高に伴う産業空洞化で日本のモノづくりの力は衰えたとの指摘もあるが、「江戸っ子1号」には技術者たちの心意気が凝縮されている。


「江戸っ子1号」の開発プロジェクトのリーダー、杉野行雄さん(64)。
東京都葛飾区で従業員5人の杉野ゴム化学工業所を営む町工場のオヤジだ。
1972年に日大生産工学部を卒業後、杉野さんは父親の創業した工業用ゴム製品メーカーである同社に入り、技術者としてもまれてきた。
父親は戦前、ドイツ・バイエルの日本総代理店の技師長を務めるなど、日本で五指に入るゴム関係の技術者だった。
二人三脚で仕事に取り組む杉野さん父子は、依頼されれば何でも手がけた。
家庭用品から原子力関連のゴム部品まで、技術と開発力に定評があった。

大きな転機は、世界的な化学・電気素材メーカー、米3Mから電気ケーブルや配線部をカバーする高電圧に耐えるゴム開発を依頼されたこと。
高電圧に対する絶縁性と耐久性を持ち、薄くて軽いゴム製カバーをつくってほしい-との要請を杉野父子はおよそ1年でクリアした。
名声は一気に高まり、機械関連の大手メーカーからも開発の難題を持ち込まれるようになる。
杉野さんが30歳のとき、大黒柱の父親が亡くなった。
高名な技術者である父に勝るとも劣らない知識と技術を身につけようと、「毎日、睡眠時間4時間で猛勉強にあけくれた」。
材料メーカーの製品発表会に出かけ、強引にサンプルをもらって分析し、発表データに誤りがあれば公然と指摘するなど業界内で煙たがられたこともあった。

しかし、捨てる神あれば拾う神ありで「私のことを面白いヤツだとかわいがってくださる方が出てきた。分析データが正しいので大手メーカーの技術者とも仲 良くなった」と、2代目としての修業時代を振り返る。
技術者の世界は一見、他人に厳しく映るが、懐に入ると親切に教えるところは教えてくれるし、刺激し合える関係にもなる。
それが「日本の強さになっているのではないか」と杉野さんは語る。
杉野ゴム化学工業所は業容を拡大し、一時は従業員も30人まで増えた。
ただ、何度かの円高でゴム部品を必要とする家電や自動車企業が海外に進出したのにともない、中国・大連に製造拠点を移した。
本社だけが日本に残り、開発中心の仕事を専門にしている。

東京・葛飾区は古くからゴム関連工業が集積し、最盛期に500社のゴムメーカーがあった。
倒産や廃業で中小メーカーは減少し、今や稼働する会社は200社ほどになってしまった。
仲間の苦境を目の当たりにした杉野さんは13年前、一大決心をする。
同業者で集まる勉強会「技術伝承講座」をつくることにしたのだ。
中小企業が生き残るには同業や異業種と提携して共同開発していかなければならない。
「ゴム部品メーカーの多くは下請け仕事で、スペック(仕様)通りのものをつくるだけ。それではいけない」と問題意識を話す。

「葛飾ゴム工業会」の会員企業を中心にスタートした勉強会だが、伝統的に「技術は門外不出」の気風が強く、同業者同士の交流は少ない。
杉野さんの呼びかけにも6社が呼応したにすぎなかったが、今では葛飾区以外の企業も含め約30社が参加し、事業提携も進んできた。
たとえば杉野さんの発想で、ゴムを生かした製品アイデアを練った。
そこで生まれたのがゴム製の家具転倒防止グッズ「地震耐蔵(じしんたいぞう)」。
家具の前方の床との接地面に挟み込むだけで、震度6強の揺れでも家具は滑らず倒れないという優れものだ。
東日本大震災後、一時在庫切れになるほど売れたという。
「江戸っ子1号」も、この勉強会から生まれた。

5年前、大阪の町工場が連携して小型の人工衛星「まいど1号」を開発したニュースを聞き、「大阪が空なら東京は海でいこう」と思い、周囲にこの構想を話した。
当初、反応は薄かったが、取引先の東京東信用金庫の支店長に話すと「夢があっていい」と芝浦工業大学に紹介してくれた。
同大の教授も共感し、海洋研究開発機構(JAMSTEC)の研究者につないでもらえた。
興味を示したJAMSTECが協力を約束したことから話はトントン拍子で進み、異業種16社からなるプロジェクトに発展した。
日本の海底探査機は部品から何からすべて外国製。
国内大手メーカーに開発を頼んでも歯牙にもかけてくれない。
このため高額の海外製を買ってくるのだという。
JAMSTECの研究者の話を聞いた杉野さんたちは「もったいない。ぜひわれわれの力で」と刺激を受けた。

ところが、簡単にはいかなかった。
最初に設計した探査機はチタン製ボディーで自走式の車のような形状だった。
開発費を試算すると材料費で2億円、工賃などその他を入れると5億円かかるという。
そんな資金は出せない、と参加企業は減り、最後は杉野ゴム化学工業所だけとなった。
立ち往生した杉野さんがJAMSTECに相談すると、良いアイデアを話してくれた。
海洋のブイとして使われる市販の耐圧ガラス球は水深8000メートルの水圧に耐えられるはずだという。

これを基に探査機を作れば重りで深海底まで沈み、作業を終えたら重りを切り離して、浮上した探査機を船で回収すればいい。
設計コンセプトも海底で自動で 画像を撮り、泥などを採取することだけに機能を絞り込むことにした。
ガラス球は透明で、その中に搭載するビデオカメラやライトは市販品を使うことができる。
開発費は大幅に安くなり、2,000万円で可能となった。
実験機は高さ1.8メートル、幅50センチの金属板(本体)に3つのガラス球(ライト、ビデオカメラ、音波受信装置を収納)を組み込み取り付けたアームの先に海底泥などを採取する装置がある。

8,000メートルの深海といえば指先1平方センチに800キログラムの圧力がかる。
手のひらだと200トン(トラック10台分の重さ)がかかる。
本体から部品にいたるまで、超高圧に耐えるものでないといけない。
このため、電波をスムーズに通すことができる特殊なゴムを開発、それをガラス球とガラス球の間に挟み込むことで深海でもカメラと照明を連動させて動かすことにした。
ガラス球にも材料の改良を施した。

開発プロジェクトがスタートして2年。
最終的に参加した5社は試行錯誤を繰り返し、一つ一つ開発作業の壁を乗り越えてきた。
これまで、浅海での実験・試験には成功してきた。
JAMSTECの協力を得て、9月に房総沖200キロの日本海溝で行われる深さ8,000メートルの本格的な試験で“お墨付き”を得られれば商品として市販化の道が開かれる。
現在の試算で、販売価格は「車1台の値段」というから、数百万円という見積もりだ。
「江戸っ子1号」の開発を終えた杉野さんは語る。
「日本人には勤勉さ、辛抱強さなどモノづくりに必要な資質があるし、町工場はすばらしい技術をもっていると改めて思った。下請け体質から脱却できる、いい機会にもなった。若者にもぜひ町工場を見直してもらいたい」

SankeiBizより

投稿者 trim : 2013年08月06日 16:40